かみそん 優しい。


上村クンは優しかった、そんな言葉が日を追うごとに、どこかしこから聞こえ続けている。小六の男児は「キャッチボールをしてくれた、ボールがそれると、だいじょうぶ!?」と、気遣ってくれてた。彼の笑顔からも分かるが、それが似合う少年だった。川崎の多摩川河口の遺体発見現場の花束は日を重ねるごとにその輪は大きくなって、手を合わせる人があとを絶たない。

昨日は18歳の少年の実況見分だった。その前日にこの少年の口から出た言葉が印象的だった。それは「妬み」。

この事件の発端となった加害少年の上村クンへの暴行に対して、上村クンの仲間が18歳少年宅に押しかけ、このときの暴行への謝罪をさせたという。まさにこの18歳少年に対する抗議だ、これは少年たちの世界のルールであり、はっきりとした意思表示だ。そこに大人は口をはさめない、彼ら少年たち独自の世界なのだ。

そして少年は言っている、「上村クンがみんなに慕われている!、それがうらやましかった、チクリへの恨みだった」と。おそらくこの証言は慎重に捜査を続けてきた結果に得られたものだと思われる。そしてこの証言と河川敷の花束の数、上村クンと同年代の少年たちの上村クンに対する想いとが合致する。

「恨み」は、犯罪の階段を駆け上る、恨みは人を殺すための大きな要因になる。恨みは人の自然な感情である、誰にもあるだろう。日常の暴行のなかでそれはエスカレートする。デートDVでも家庭での引きこもり青年の母親への暴行も、それぞれがエスカレートする。

昨日の河川敷でのインタビューでもある母親は「社会の、そして親の責任である!」というが、それはなかなか大人の目に見える形で現れるものではないと思う。子供は大人への警戒心で満たされている、思春期の闇と言うものは、私たちにも経験があるはず。その当時を私も振りかえってみるが、「判らない」部分が多すぎる。そしてこの時期はオトナへの大切な階段を登っている途中なのだ。

最後に上村クンのご冥福を祈ります。

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