中村修二、まだまだ開発途上です。


まだまだ50%、青色発光ダイオードの研究はこれからの開発が待たれている。と語るのは中村修二さん、京セラを志望(面接官は創業者のあの稲盛和夫さんだった!)合格したが事情があって、地元の日亜化学工業に就職、どうやら京都がお嫌いなんでしょうか?中村さんの世界を驚かせた発明のコーナーストーンとなったのは、日亜化学工業の自由な研究環境だった。

入社当時には中村さんを応援してくれる社長がいた、その代表が交代して環境は大きく変わった。研究を続けられなくなった。彼の研究と 窒化ガリウムは切っても切れない、その特許取得において彼は、日亜化学工業と戦争に突入する。

この戦時中(裁判)に中村さんはは弁護士とは異なる記者会見を設け、「日本の司法は腐っている!!」とまで言い切った。怒り心頭、ここに中村さんの姿勢が見える!戦い抜くという強い意志が。
ウォールストリート・ジャーナルによると、中村さんは 「サラリーマンとして、勤務した企業と闘った日本人」と紹介された。

「好きなことだから、続けられた!!」と中村さんは言っている、”終わったとされる分野”に挑んだ方が良いということでガリウムに着目し研究を続けた。会議に出席もしない、電話に出ない!!会社命令は無視、研究の虫だった、サラリーマン失格、会社員としては言語道断だろう。経営者としては放って置けない存在だったろう。

日本の司法は腐ってる、となれば日本になんて未練はない!研究を続けるためにも米国籍まで取得する。今回の発表で誰が中村さんの受賞を想像したろう?十倉さんの話題で持ちきりだった。「土日も大学に行きます。クリスマスも、みんなは休みますが、私は日本人だから出る。正月はみんなが出るから私も出る(笑)。とにかく忙しいですが、やりがいがあります。」という研究漬けの365日だ。

少年時代、勉強した記憶はあまりない。ただ、四国電力の現業職員だった父が教えてくれて、算数が好きになった。

中村さんは4人兄弟で、下3人が男だ。 「2歳上の兄貴とはいつもけんかばかり。飯は男3人で奪い合い。次男坊だから、負けず嫌いになりました!!」長男と次男の気性がよく顕れている。その負けん気がこんな大きな結果になってかえってきたんですね。

まだまだあります、中途採用の京大卒の技術者が突然上司になると「今に見ていろ」と思った。「私の開発はモノづくりが基本で、理論やサイエンス(科学)は無いに等しい!」 中村修二・その人となりは、町工場の現場主義の頑固オヤジ、その一徹さ!実に素敵です。

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