御嶽山噴火1週間


御嶽山は地元では御山(おやま)と言う。地元の人々はこの御山から恩恵を受け続けてきた。これは東北の三陸海岸でも同じこと、これらの自然からの恩恵で地元の人は生計を立ててきた。ただこういうことが起きるのも自然の大きな営みのひとコマでもある。

御嶽山5合目にある王滝村は自衛隊の救助隊を送るベース基地になっているグラウンドのあるところだ。捜索に当たった自衛隊幹部が語る、「頂上付近は、直径2~3メートルの噴石がゴロゴロしている、ドラム缶大どころではない。」それが時速 300kmを超えるスピードで登山者を襲ったという。これが損傷死にいたる致命傷だった。

その噴石の威力は子どもたちを含む登山者を容赦なく襲った、脳挫傷、頚椎損傷、外傷性ショック死という損傷を与えて。まさに一撃、ほぼ即死状態だったことは間違いなかろう。医師の判断がない限り、心肺停止状態と言うことしかできない。

9月10日、に52回、11日に85回の噴火が起きていた、だが警戒レベルは引き上げられなかった。水蒸気爆発の予測は困難を極めるという。この52回、85回の噴火の時点でなぜ?警戒レベルを引き上げなかったのか!という議論があるが、後付けならばなんとでも言える。

そして首に巻いたタオルで一命を取り留めた人もいた。救助隊の装備を見れば一目瞭然だが、木曽の御嶽山は唄にもあるように国民にもおなじみの山だ。ヘルメットにゴーグル、ネックウォーマー(マスク代わり)リュックで噴石から背中を守る防御体勢でもこの大きさの噴石では難しかっただろう。それに万が一を考えたシェルターがなかったことが悔やまれる。

浅間山では、その噴火に対する対応は進んでいた、アーチ型のシェルターだ。奥行き9メートル、鉄筋コンクリート製、70人が収容できるもので、2.600万円、もちろん材料をはじめヘリコプターで運んだ。これとは別に地下にも120人が収容できる立派なシェルターもある。御嶽山にはこれがなかった。人々の生活はこの御嶽山で成り立っていた、御嶽山から恩恵を受けて生活してた人々もいれば、そこで今回のように尊い命を奪われることもある。大自然の前には人は無力だ。
最後に、不明者がいまだ捜索中の中で、いくら皇室を離れたとはいえ、日の丸を打ち振りお祝いの宴はいかがなものなんでしょうか?

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