御嶽山生還に罪悪感?


「亡くなった人に申し訳ない!」

この心境、境地はおそらく日本人特有のものじゃないでしょうか?「亡くなった人に申し訳ない!」と自身の生還に罪悪感を感じる(サバイバーズ・ギルト)なんてことは。決して非難されることではないのだが!? 私のような傍観者は「なんで??」と思ってしまう。あの日、御嶽山に登って命をつないだものは、生きることを(生かされたことを)選択されたもの、向こうの世界から今回はお呼びがかからなかっただけのこと!その分 犠牲者の方々の思いを受け継いで生きて、生き抜いていかなければならないということ、だと思う。

(あの日 御嶽山に登って命をつないだものは、) 「放置すれば心的外傷後ストレス障害(PTSD)など深刻な事態に発展する恐れもあり、専門家は、継続的なケアの必要性を指摘する。」と記事にはあるが、人間は精神科医や臨床心理士なんか存在する以前から、これらのことはみ~~んな経験済み!こんなことで人間はへこたれない、こんな場合にも(児童が悲しい事件に巻き込まれることなど) 事を大げさにしないことも大切だ。人間は簡単には死なない!しかしそれと同時に人間はあっけないようなことで(いとも簡単に)命を絶つものでもある。

「なぜあの日、あの時、噴火が起き、なぜ自分は助かったのか?」 こう思って深刻に悩むというが?それは神のみぞ知ること、それに罪悪感を感じてはならない!感じることが罪悪だろう!?そんなことは犠牲者も望まないのだから。あの日一緒に御嶽山に登った犠牲者たちは、「あなたは私たちの分も生きてください!」と思っているはず、私も犠牲になってたらそう思う、まちがいなく。

だってあんなすばらしい秋晴れの日に、心置きなく好きな登山をしながら、御嶽山に登頂できて至福の瞬間をそのときの登山者とともに共有できたわけでしょ!戦後最大の火山噴火事故と言うけれど、好きなことをやっててそこで命を、天にイチバン高いところで神様に見守られながら、ささげたのなら私でもそんなことができればうらやましい限りです。そんな死に方は到底できるものじゃない!そんな死に方は神様に選ばれし者のみ許されると思う。

ここに書き記したことはご遺族、ならびに行方不明者のご家族の皆さまにとっては、「失礼極まりないことだ!」とおっしゃるとおもいますが、私の率直な意見としてお許しいただければと祈っております。

コメントを残す