私たちは「(誰かを)殺したい(ほど憎い)!」とは思っても_「殺してみたい!」とは思わない。


「ついにやった!」 まさにそれは達成感そのもの。
「子どものころから、人を殺してみたかった。」、どんな子ども時代を送ってきののだろう?高校時代には、同級生の男の子に毒を盛って病院送り、その子は特別支援学級へと。この件も今から捜査が始まるのか?

人を殺したいほど、憎憎しいやつはいる。「死んじまえ~~!」と思うこともある、「あんな奴、死んでしまえばいいのに!!」と思うこともある。「ぶっ殺してやる!」もある。怒りの感情は激しい、それに伴った思いが、「死」んでしまえばいい、ということになろう。

家庭では上に並べた物騒な単語をとてもじゃないが、言うことなんかできない!、そんな雰囲気の家庭もあるだろう。逆にこれらの言葉がたま~に飛びかうような家庭もあるだろう、想像するに難くない。「死んじまえ~~!」とそのとき思っても、それを実行できる人はいない。そのときの相手に対する感情がそうさせたのであって、実際に殺すことはないのが普通の世の中だ。

長崎県佐世保市でも「人を殺してみたかった!」という高校生がいた、昨日、家裁送致になった。今回の名大生も「人を殺してみたかった!」、まったく同じ、いわゆる殺人願望である。人を殺してみたい、殺したいとは思わないけど、殺してみたい!という願望がtwitterにあった、「ひとよひとよに人殺し」、というフレーズもLINEにあった。

この女子大生は「殺したいとは思わないけど…。」といっている。

「殺してみたい!」という願望があって、それを実行して、達成感を得る。私たちがこの女子大生と違うところは、「殺したいと思う」ことがあるということ。彼女は「殺したいとは思わない!」といっている。殺したいほど憎いような思いをしたことがないのだろう。私も10代後半のことを思い出してみるが、そのころに殺したいほど憎いやつがいたかどうかは記憶にない、おそらくいなかったろう。そいう思いになったのはそれ以降の人生だと思う。しかしそのころに誰かを「殺してみたい!」と思ったことはない、そこははっきりしている。

私は「殺したい」と思うことはあっても、「殺してみたい!」と思ったことはない。ここが大きな違いだろう。そして昨日の彼女の供述に「悪いとは思っている」というのがあった、「悪いことをしたと思っている」ではないのだ。

佐世保の高校生はあの事件の前に、父親をバットで殴って瀕死の重症を負わせている。この女子大生も高校時代に毒を盛って男の子の同級生を病院送りにしている。佐世保の場合は、児相の怠慢、公務員体質というお役所仕事があの事件を起こした。今回も同級生・毒盛り事件を解明しておけば防げたのではなかろうか?

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